関ケ原古戦場
おもてなし連合

関ケ原のろしの会

せきがはらのろしのかい

関ケ原のろしの会 活動の歩み

1-1)「のろし」について

  1. のろし(狼煙)は、煙を上げ、それを離れたところから確認をすることにより、情報を伝達する手段である。夜間など煙が見えない場合は火そのものも使われる。
  2. のろしの特徴としては、人や馬が手紙を運ぶよりも遠距離を高速に情報伝達出来る。また、リレーすることにより距離を伸ばす事が出来る・・・などである。
  3. 欠点としては、天候に影響される。基本的には「煙」の有無だけなので情報量が限られるなどである。
    考え方によれば、最古の「光通信」と言える。
  4. 古くから敵の攻撃を知らせる事など「戦いの合図」用に使われた。
  5. のろしは20世紀以降、電気的な通信手段が発達したため実用では使われることはほとんど無くなった。
  6. 「狼煙」そのものの起源は明確ではないが、言葉の由来は「煙」が多く出る「狼」(おおかみ)の糞を燃料としたことがあったからとされる。

1-2)「関ケ原のろしの会」の発足

今から14年ほど前(西暦2005年・平成17年)、日本の山城研究の第1人者の県立滋賀大の中井 均先生より『3年前から「琵琶湖一周のろし駅伝」をやっているが、将来「近江から鎌倉へのろし」で繋ぎたいので、近・濃国境の松尾山で「のろし」を上げて欲しい』との依頼がありました。
当時、「関ケ原歴史を語る会」の坂東会長に相談した結果、会員に趣旨を説明し賛否を計りました。その結果、「関ケ原の古戦場観光と町起しの一環としてやってみよう」との結論に達し、「近江のろしの会」に入会しました。

「近江のろしの会」では米原近辺の山城に出向いて実際の活動内容を見学し「のろし」に必要な設備と関係先への事前申請等の教習を受けました。
教習でならった手順に従い町内の鉄工所にのろしの釜、煙突の制作を発注し、完成後実演した結果、「これならやれる」と確信し、名称も「関ケ原のろしの会」として会員を募り、活動をスタートしました。

1-3) のろしの活動概要

年代 のろし場
2005年~2009年 松尾山城、玉の城山
2010年~2012 松尾山城、南宮山、丸山
2013年~2019年 松尾山城、丸山、笹尾山、関中

1-4)まとめと課題

現在、年間を通して、計7回ののろしを上げています。
発足以来の活動経過については、「関ケ原のろしの会活動経過報告書(PDF)」を参照してください。
毎年3月に総会を開き、当年の活動報告と次年度の活動計画を立案決定します。
課題としては会員の募集と燃料となる杉葉の調達に難渋していることが問題です。

令和元年10月10日
関ケ原のろしの会
特別顧問 曽我 治太郎

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