スポット情報

松尾山城跡・小早川秀秋陣跡

まつおやまじょうあと・こばやかわひであきじんあと
史跡名勝天然記念物
#関ケ原合戦
  • 駐車場
  • 入場無料

小早川が見た、天下分け目の地

小早川秀秋が陣を置いた場所が松尾山になります。麓の駐車場から徒歩40分程度で登頂できます。山頂は、古戦場を眼下に見下ろせる絶景ポイントになります。春には、やわらかな気候に包まれながら、夏には森林浴も兼ねたちょっとした登山気分を味わいながら、秋であれば色づいた木々とさわやかな風の中、ハイキングができます。冬には、雪化粧をした関ケ原古戦場を一望できます。四季折々の風景を、関ケ原の中で最も深く感じることのできる場所が、ここ松尾山・小早川秀秋陣跡なのかもしれません。



優柔不断?裏切り者?影のMVP?

関ケ原の戦いにおいて、優柔不断の裏切り者と酷評されることが多い小早川秀秋ですが、実際には勇猛果敢で、領民からも慕われる統治手腕を持った有能な武将だったといいます。当時19歳という若さで1万5千の兵を従え、東・西軍どちらにつくか?その1つの判断がまさに“天下分け目”になる重圧は、どれ程のものだったのでしょう。秀秋の最終判断が東軍に勝利をもたらした点を考えると「優柔不断の裏切り者」ではなく、関ケ原の戦いにおける「影のMVP」と呼べる武将です。

 

文化財情報

松尾山城跡は町の指定史跡です。
西美濃最大級の山城として、曲輪、堀切、土塁など多くの遺構が完存しています。関ケ原古戦場を一望できる主郭をはじめ7つの曲輪が残っており、その規模は東西400m、南北250mにもわたります。
大永年間(1521-1528)に近江の浅井氏の家臣掘氏が居城としたのち、元亀元(1570)年に浅井長政が江濃国境の境目の城として、樋口直房を入れ置いています。その後、織田信長の近江侵攻に際し、信長方の城として、不破光治が在城しました。
関ケ原合戦の際には、石田三成が大垣城主伊藤盛正に回収の指示をしており、現在見学できる遺構のほとんどはその時のものだと考えられています。
 

スポット詳細

住所 岐阜県不破郡関ケ原町大字山中731-1
電話番号 -
営業時間 -
定休日 -
料金 -
駐車場 5台
アクセス 関ケ原ICより南西へ車で10分
関ケ原駅から松尾山麓駐車場まで徒歩で30分
(松尾山麓駐車場から頂上までは徒歩40分)
  
関連リンク -
備考 松尾山城麓の駐車場にパンフレット入れが設置されました!
松尾山城のパンフレットや「挑め!松尾山城AR」のチラシなどが入っていますので、山城散策にぜひご活用ください!
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