野上行宮跡
のがみあんぐうあと







古代の皇子が過ごした場所
桃配山に程近い見晴らしの良い丘の上に、野上行宮跡があります。現在は草に覆われていますが、当時を偲ばせるものとして、わずかな石垣が残っています。壬申の乱にて大海人皇子は、672年6月に野上行宮に入り、関の藤川(現在の藤古川)の右岸に陣している大友皇子と戦いました。大海人皇子は全軍の指揮を長子の高市皇子に任せ、自身はここ野上を動かずにいたともいわれています。また大海人皇子による大友皇子の首実検もこの地で行ったそうです。勝利した大海人皇子は、この地で位を受け継ぎ、野上から大和の都へ帰って行きました。ちなみに、大海人皇子が野上行宮に入られる以前は、この土地の長者が屋敷として使用していたとされています。
天地をも味方に付けた!?
大海人皇子軍は、吉野を出てから4日間で約186km移動し、野上行宮に到着しました。この日の夜、雷が鳴り、雨が降り止みませんでしたが、大海人皇子が祓い出でて「天の神、地の神よ、我を助けてくれるならば、雷も雨も止めよ」と告げました。言葉を発してまもなく雷も雨も止み、この奇跡により軍の士気はより高まったそうです。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字野上1231-2 |
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アクセス | JR関ヶ原駅から東へ徒歩20分 |
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