スポット情報

大谷吉継の墓・湯淺五助の墓

おおたによしつぐのはか・ゆあさごすけのはか
大谷吉継顕彰碑(おおたによしつぐけんしょうひ)
大谷吉継顕彰碑(おおたによしつぐけんしょうひ)
史跡名勝天然記念物
#関ケ原合戦

三成の“大義”に殉じた友情の武将が眠る地

「大谷吉継の墓」は、平塚為広の碑より山道を15分ほど登った場所にあります。その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っています。吉継は藤堂・京極隊や裏切った小早川隊などと激戦を繰り広げましたが、次々と味方の武将も討ち死にし、もはやこれまでと自刃しました。吉継の首は、五助の手によりその地に埋め隠されました。五助はその後討ち入りますが、藤堂仁右衛門に捕らわれました。その時、五助は主人の首の在処を藤堂に正直に伝えて供養を頼んだ上で討たれました。敵ながらに感心した藤堂は、家康からの詰問にも決して吉継の首の所在を口外せず、合戦後、約束通り「大谷吉継の墓」をこの地に建てたとされています。

大谷が自刃した時…居城では

関ケ原合戦のその夜、大谷居城の越前・敦賀城では妻たちが月見をしていました。その時、庭の木陰で悲しげな声が聞こえてきました。物陰から覗くと百人以上の男女によって、非常に格式高い葬送が行われていました。急いでその場所を詮索させましたが消え失せてしまい、これは狐狸の仕業に違いないと話していた矢先、「この不思議な出来事はいずれわかる」と叫び声が聞こえました。のちにその夜大谷が自害していたと判明し一同はとても驚いたそうです。

文化財情報

国指定・史跡名勝天然記念物
文部省告示第115号
指定年月日:昭和6年3月30日

スポット詳細

住所 岐阜県不破郡関ケ原町大字藤下678-2
電話番号 -
営業時間 -
定休日 -
料金 -
駐車場 -
アクセス 平塚為広碑より山中へ徒歩15分、大谷陣跡より徒歩5分
関連リンク -
ページのトップへ移動