田中吉政陣跡
たなかよしまさじんあと



石田隊と激突!
田中吉政は三河岡崎の10万石を治める熱心なキリシタン大名でした。
その吉政が布陣したといわれる場所は徳川家康最後陣跡のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62年のことでした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようです。
田中隊はここから石田隊に向かって兵を進め、笹尾山麓より討って出る先手の兵と激突しました。また、石田隊の右翼・蒲生郷舎と戦ったのではないかという説もあります。
吉政の大手柄!?
田中吉政は東軍武将ではありますが、石田三成とは親交があったそうです。関ケ原の戦いで敗走した三成を捕らえたのは、皮肉にも、この田中吉政。しかし吉政は昔の関係を重んじて、捕らえた三成のことを厚遇したそうです。そして三成も、「自分を捕らえたのが吉政でよかった」といった言葉を残したとされています。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原959-2 |
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アクセス | JR関ヶ原駅から北へ徒歩5分 |
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