スポット情報

決戦地

けっせんち
#関ケ原合戦
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ここが最大級の激戦が繰り広げられた地

笹尾山を背に、現在は田園の広がる中程に「決戦地」があります。ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があり、休憩所もあります。1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の裏切りによって状況は一変します。これによって、一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。そしてこの決戦地は、東軍諸隊が三成の首級を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所といわれています。この地で激戦が繰り広げられていたのかと思うと、現在はのどかなこの風景も全く見え方が変わってきます。

家康が掲げた、謎の言葉?!「厭離穢土欣求浄土」

家康の陣旗にはとても難しい文字が連なっています。この言葉は、「戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦い、国土が穢れている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を願い求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す」という意味です。家康は幼いころより人質生活を強いられ将来を悲観し、桶狭間の戦いの後、松平家の墓前にて自害しようとしました。その時、寺の住職が「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」を説き、切腹を思いとどまらせたということです。三成・家康ともに平和を願う心は同じだったことがうかがえます。

スポット詳細

住所 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原1202
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料金 -
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アクセス JR関ケ原駅より徒歩20分
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